[ひとりごと(1999.10.29)]

小さな三面記事

 先日新聞を読んでいて、小さな三面記事に目が止まった。

「二十四日午後六時ごろ、京都市東山区清閑寺歌ノ中山町の雑木林で、男性が木の枝にかけたロープで首をつって死亡しているのを散策中の外国人が見つけ、五条署の交番を通じて松原署に届けた。……」(「京都」1999.10.25付)

 午後6時ごろといえばこのごろはもうすっかり暗いから、見つけた人はさぞやびっくりしたことだろう。もっとも、そんな時間にどうしてまた「散策」などしていたのだろうかとも思うが、そんなことはこの際どうでもよい。
 僕がこの記事に目を止めたのは、その「清閑寺歌ノ中山町の雑木林」が、ちょうどその1週間ほど前に取材で徘徊していた、まさにその場所だったからで、思わず「えっ!」と声をあげてしまった。
 清閑寺は京都の東部、五条通りを東山から山科に抜けるトンネルの近くにあるお寺。近くには東山ドライブウェイの出入り口もある。また清水寺からその清閑寺への山道(といっても十分に車が走る)を「歌の中山」と呼ぶそうで、だからそのあたりは「清閑寺歌ノ中山町」となっているらしい。そこに「歌の中山碑」という石碑があるというので、その写真を撮ってくるのがその時の仕事だった。
 ところが、その石碑はどんな形で、何が彫られているのか、僕は知らなかった。仕事の指示文書を見ても「清閑寺付近の山路」とされているくらいで、いまひとつハッキリしない。にもかかわらず、まあ行ってみたらなんとかなるやろ、わからなければお寺で聞けばいいや、と軽く考えて出かけた。
 清閑寺はすぐにわかった。しかしそこは無人だった。とにかく「付近」なのだからと、まずは裏にまわってみた。お墓があって「関係者以外お断り」と札がかかっていた。「すみませんが失礼します」と一人で言って入ってみた。やっぱりお墓以外のなにものでもなかった。
 今度は寺を出て、来た道とは反対側に歩いてみた。すると「歌の中山 清閑寺」と彫った石碑があったので、これを写真に撮った。でも、本当にこれだろうかと不安がある。そこで、清水寺方向に向かって歩き出した。かなり山の中だが人家もあった。しかし何も見つけることなく清水寺に着いてしまった。山をたどるとずいぶん近い。
 仕方がないから引き返す。今度は石碑のようなものを見つけたので行ってみると、お墓。大谷霊園の一部だった。再び引き返して、今度は雑木林に入ってみた。左手に行けばハイキングコースのようでもあったが、右手に向かう。すると、またお墓だった。どうもこのあたり、お墓だらけ。
 方向的にはさっき撮った石碑のあたりに帰ることができるハズだと、クモの巣もかまわず進む。もはや道はなくなった。なんとか元の位置に戻ったが、結局何も見つからなかった。
 それであきらめて帰ったわけだが、あとでクライアントに確かめたら、撮った石碑で合っている様子。なんとかホッとしているが、まだ写真を見せて確認していないので少し不安ではある。
 で、正確にはわからないが、そのウロウロしたあたりがちょうど新聞記事の現場付近のようなのだ。僕はちょっと、背筋が寒くなった。

(記/1999.10.29)


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