[エッセー 1997.10]

小国文男
ぶらりバーめぐり(4)

Sharaku

写楽
東洲斎写楽「市川鰕蔵の細川勝元」
(家永三郎編『日本の歴史3』ほるぷ出版1979年より)

「カクテルのことを聞きたいんやったらSharakuのマスターがいいよ」
 1年ほど前、とあるスナックのママに頼んでカクテルを作ってもらった。ママは「久しぶりやなあ」と張り切ってダイキリなどを作ってくれたが、その時に教えてもらったのがバー「Sharaku」だった。
「『Sharaku』って、あの東洲斎写楽からとったんですか?」
「そうなんやない……」
 写楽といえば、僕には思い出すことがある。それはもう25年以上も前の小学生の頃のことだ。
 当時、僕は切手を集めていた。家に来た手紙に記念切手が貼ってあればせっせとはがし、昔の切手を求めては蔵を探した。小遣いをためて通信販売で切手を買い求め、田舎のデパートの切手コーナーの陳列ケースをながめてはため息をついていた。
 もちろん、記念切手の発売日には郵便局の前に並んだ。とはいえ田舎のこと、行列といっても5〜6人で、ほとんど小学生ばかりだった。
 もっとも、切手集めをしていた子どもたちの話題は、もっぱらその切手の「値打ち」のことだった。めずらしい切手はどれも額面からは考えられないような値がついていた。そして、当時の僕らが羨望の眼差しを向けた切手は「見返り美人」と「写楽」だった。
 言うまでもないが「見返り美人」は菱川師宣の浮世絵である。そして「写楽」とは、幻の浮世絵師といわれる東洲斎写楽の役者絵「市川鰕蔵の細川勝元」のことだ。が、実はこのタイトルは、これを書くために調べてみて再認識したもので、当時の僕らは絵のタイトルなどどうでもよく、とりあえず「値打ち」のある切手として「写楽」と呼んでいたものだった。
「写楽」にいくらの値がついていたのかは、もう忘れてしまった。いずれにしてもついに僕の手元には来ることがないまま、いつの間にか切手を集めることをやめてしまっていた。それでも「写楽」の名を聞いたり絵を見たりすると、なんとなく当時のことが脳裏をよぎるのだ。
 数日後、僕はバー「Sharaku」を訪ねた。京都・南座の裏側にあるビルの1階。ドアに「会員制」とあってちょっと躊躇したが、思いきってドアを開けると、一見客はごく普通に迎え入れられた。そこは、コンクリートのビルの外観がウソのような英国調のウッディーな空間だった。
 そう広くはない。全体に落ちついた雰囲気だが、静かなようで賑やかでもある不思議なバーだ。客には若い人もいれば年配客もいる。マスターを含めてバーテンダーは3人。おしゃべり好きな感じのマスターは、別に骨董品も商っているという。
 僕はカウンターの一番奥に座った。
「ギネスを」
 僕はどこでも、だいたいビールから始める。実はバーでビールなんて飲んではいけないと思っていた頃があった。酒場なのだから当然なのだが、かまわないと知ってからはずっとそうしている。そしてやや喉が潤ってきた頃、
「ウオツカベースのカクテルを何か……」
 とオーダーするのが常だ。だいたいカクテルの名前など知らないし、プロのバーテンダーに任せるに限ると思っている。ただ残念なことに、せっかくだからと出てきたカクテルの名前を聞くのだが、さっぱり覚えられないでいる。
 少し酔いがまわって、僕はバーテンダーの一人に聞いてみた。
「おすすめのカクテルってありますか?」
 もうここで16年振っているというそのバーテンダー氏は、少し考えて、
「やっぱりお酒はそのまま飲むのが美味しいですね」
 ちょっと肩すかしをくらったようで、それでいてホッとするような複雑な気分だったが、このひとことでこの店が好きになった。そして僕は、その後もときどきこのバーを訪ねるようになった。
 さて店を辞そうと立ち上がって振り向いた時、僕の目に飛び込んできたのは、まさに「写楽」だった。薄暗く漂うタバコの煙の向こうの壁で「市川鰕蔵の細川勝元」が僕をにらんでいた。

(記/1997.10)

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