「あんた、ゴーストライターできるか?」
出版社の編集長から電話がかかってきたのは、まったく突然でした。もちろんゴーストライターなどやったことはありません。ですが出版・印刷関係の世界に入ったばかりで、仕事はのどから手が出るほどほしいときでした。
「やります」
と答えたのは言うまでもありません。まだMACを使い始める前、1994年の早春のことです。
仕事は、ジャイアンツファンとして有名なあるお笑いの師匠の話を聞いて、それを原稿にまとめること。ジャイアンツの60周年と重ねながら師匠の人生を語る内容で、師匠はすでに原稿を書き始めていましたが、諸般の事情でなかなか進まないので、執筆を手伝ってほしいというものでした。
この師匠、この頃はかつてほどの勢いはありませんが、若い頃にテレビでよく見たものですから、私にはとてもメジャーな人です。そんな人と仕事ができるというのは、私にとっては不安がありつつも、胸おどることでした。
以後何度か、師匠の奥さん経営の割烹のお店で話を聞き、テープに収めました。テレビなどから抱いていた印象とはずいぶん違い、師匠はいつも腰が低くていねいな応対なので、こちらが恐縮してしまうことばかりでした。
師匠の手による原稿には、さすがに舞台人だからでしょうか、ベースに七五調のようなリズムがありました。ポンポンとテンポよく読める、ちょっとユニークでおもしろい文です。
もちろん私が書く部分もタッチを合わせなければなりませんから、これをまねる。何でも修行の第一歩は模倣だといいますから、おおっぴらにまねができるのは駆け出しの私にはラッキーでした。
私はテープをもとに、はじめから本の体裁に合わせて書きました。本のサイズは四六判、1ページは40字16行という予定でしたので、ワープロでそのように書式設定し、書き込んでいくのです。
この仕事をしている間にMACを買い、組版まですることになりましたが、当初より一歩進んで、書きながら同時に組版もするとより好都合です。まさに書いた直後から、目の前に本ができあがっていきます。
もっとも私の初期の仕事ですので、今から思うと組版はずいぶん乱暴でした。しかし、組版しながら原稿を書く――これは私の執筆スタイルのひとつとなって、今に続いています。
そして師匠は、私が手伝ったことを隠さず、あとがきに心あたたまる紹介の一文まで添えてくださいました。それゆえでしょうが出版後、プロ野球ニュースなどでおなじみのリポーターから電話がかかってきました。
「新聞社の記者がニヤニヤしながらワシに書評を書けて言うてきよったんや」
この人タイガースファンで有名です。
「途中からタッチが変わったな」
と、しっかり指摘されてしまいました。読む人が読めば、どこから変わったかバレバレだったのです。
実は最近の仕事で偶然にも、今度は私がこの方を取材する機会がありました。
「あのとき電話をいただいたのは私です」
「ああ!」
おかげで初対面ながら、スムーズに取材に入れたのは幸運でした。
あとでわかったことですが、この本には明らかな事実誤認などいくつかのミスがありました。残念ながら私がジャイアンツファンでなかったために詳しい事情を知らず、師匠の勘違いを指摘することができなかったためでした。再版で直そうと思っていましたが、これまた残念なことになかなか売れず、その機会に恵まれなかったのが心残りです。
「倉庫にたくさん眠っております。ぜひお買い求めください」
出版社の創立10周年パーティでの師匠のスピーチ。もちろんご本人に他意はないのでしょうが、ちょっと辛いものがありました。
もうひとつの心残りは、でき上がった本に師匠のサインをもらおうと思いながら、その機を逸してしまったこと。ああ、残念。
(記/1998.10.9)
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