一双の屏風の前で芸妓の豆弘さんが舞っている。
着物の裾が畳をすってひと回りしたかと思うと、彼女は背を向けて腰を下ろした。大きく開いた着物の衿からのぞくうなじが美しい。彼女は、さらに衿を下げるしぐさをする。僕は、たらいに座って長い髪を洗う女性の姿を背後からのぞき見ているような気分になる。それがクライマックスだった。
その日、僕は祇園のお茶屋の客だった。「祇園のお座敷に行かないか」と知り合いのカメラマン・有田さんに誘われ、いそいそと出かけたのだ。もちろん、祇園のお座敷など初めてだ。
メンバーは五人。仕掛人は造園業の中村さんという人で、それにお坊さんと修行中のカメラマンという若い女性、そして有田さんと僕だ。有田さんをのぞけば、中村さんも顔見知りという程度だし、ほかの二人は初対面だった。
どうやらお互いに似たり寄ったりの関係のようだった。というのも、予定していた人の都合が悪くなったとかで、ようするに寄せ集めたのだ。しかし僕の祇園お座敷初体験なのだから、そんなことはどうでもよかった。
お茶屋はかなり年期の入った建物らしく、板が黒光りする階段は歩くとギシギシと鳴った。音の情緒を別にすれば、さながら鴬張りだ。通されたのは床の間のある六畳ほどの座敷で、真ん中に座卓があるだけの実にシンプルな空間だった。出てきたのは、飲み物のほかちょっとした肴程度。このあたりはスナックなどのそれとそう変わらない。
豆弘さんは夜の九時半すぎにやってきた。この日三度目のお座敷だという。中村さんによれば、時間が早いと値段も高いのだそうだ。
僕は一瞬、芸妓さんというのはお歯黒にしているのかと思った。黒い日本髪、年増を感じさせる黒い縞模様の着物、対照的なおしろいの白、その中で鮮やかな口紅の赤。光線の関係だろうか、少しゆるめた唇の中からのぞく歯は確かに白いのに、そのあたりが黒っぽく見えたのだ。
舞妓と芸妓はどう違うのかとか、しばらくとりとめのない話をしていると、豆弘さんはするりと座を辞した。いよいよとばかりに皆は姿勢を正す。続いて襖がすーっと開くと、彼女は屏風の前に立っていた。小さな体つきの豆弘さんが、そこでは大きく見えた。
「今のは『黒髪』ていいましてね、井上流の踊りの中でも色っぽいほうなんですわ」
さっきまで三味線を弾いて地唄を歌っていたおねえはんが、僕の傍らに来て言う。心の中を見すかされたような、ホッとしたような、複雑な気分。
「やっぱり、色っぽいって感じていいんですよね」
思えば、なんとも無粋な感想を口にしてしまったものだ。
おねえはんは次々とビールをついでくれる。そのたびに「あっ、おおきに」と言いながら飲んでいたら、僕はすっかり酔っぱらってしまった。
十二時前にお茶屋を出て、有田さんとさらに二軒ほど回ったが、どうやって帰ったのか、僕には記憶がなかった。
(記/1997.7)
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