実はこの「京乃祝」は、油長さんのネット販売で純米大吟醸と見て購入したのだが、やってきたのが大吟醸だった。こういうことは珍しいのでメールで問い合わせると、通販ページの表示間違いだったとの返事が返ってきた。
なんでも、前年度までの「京乃祝」は純米大吟醸だったが、現在流通している年度(2003年7月〜2004年6月醸造分)のものには醸造アルコールが添加されて大吟醸になっているという。この年度の祝米のお酒は味がよく出て濃く甘い傾向にあるので、醸造アルコールで調整されたのではないか、とのことだった。
返品OKとも言われたが、せっかくなので賞味することにした。
栓を抜いてコップに注ぐ。暑いのでコップはすぐに曇るが、無色透明に見える。香りは控えめだが確かに吟醸香。口に含むと、うん、おだやか。
あらかじめ醸造アルコールが入っていることがわかっているので、どこかに違いがあるのではないかと、それを嗅ぎ取ろうとするのだが、前にも書いた通り、ハッキリ言ってわからない。強いて言えば喉ごしが少しピリリと辛いかなと思えるくらいだが、これもあらかじめわかっているが故の言いがかりとも言える。
ただ、なんとなく翌日の残り方が少し強いようにも思うのだが、気のせいだろうか。
醸造アルコールが味の調整に利用されるのはよしとして、その調整がどういう方向をめざしてなされたのかを考えてみた。
油長さんの予測のように濃くて甘い傾向を調整しようとしたならば、ようするに「端麗辛口」が消費者の嗜好の多数派だとして、それに合わせようとしたのではなかろうか。むろん商売だから、やむを得ないのかもしれない。
でもその「濃厚甘口」がどんな程度だったのだろうかと興味がわく。ワインだって年によって味も変わるようだから、お酒も調整なしで、収穫状況に応じて味が違ってもいいのではないか。この年の酒はちょっと甘いがあの年の酒はちょっと辛い、なんてことでもいいように思うのだが、いかがだろうか。
醸造アルコール入りのお酒を飲むと、こんなことをいろいろ考えてしまう。
さてこのお酒、もともとは純米で出発しているようだから、秋に出回るという新年度のお酒は再び純米大吟醸になっていてほしいと思う。
(記/2005.6.25)
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