さようなら、山崎重子さん
焼香後にいただいた手提げ袋の中に小さな黄色い冊子を見つけたのは、帰りの電車を待つホームでのことだった。 お通夜の会場で参列者がしきりに読んでいたのはこれだったのか、と思って手に取ってみた。表紙に「ちょっと長いあとがき」とあって、その下に亡くなったご本人の名前がある。 えっ? 本人による会葬お礼……。 まさかそんなことがあろうはずはなく、それは、かつて連載した記事をまとめて出版する本のため2週間前にベッドの上で口述した「あとがき」原稿だった。
そこには、その本に至る彼女の人生があった。その最後の方の数年というほんの短い期間、彼女と一緒に仕事をさせていただいた。いくつかの本の奥付に共同取材者として名前を連ねさせてもいただいた。 最後に会ったのは1年と9か月くらい前になろうか。ガンで亡くなった知人のお通夜のあと、駅近くの居酒屋でささやかな「偲ぶ会」を行ったのだった。 その1年後に、なんと彼女もまたガンになったと聞いて驚いた。余命2か月とも聞いた。そんなアホな、というほど信じられないことだった。
もしかしたらとも思ったが、その「あとがき」に僕の名前はなかった。もともと目的が違うし、行こう行こうと思いつつ結局見舞いにも行けなかったから、そもそも期待する資格もない。 その時ふと、もし自分が死期を間近に感じることができた時、葬儀の会葬者に向けてメッセージを書いてみたらどうだろうか、なんてことを思いついた。うまくいけば感動と涙をさそうかもしれない。 いやしかし、たとえば個別にメッセージを書いても、その人が来てくれなかったらどうなるか。これはこれでかなり寂しい……。やっぱりやめや。
「うん、わかるわぁ!」 電話をすると饒舌で、いつも話に乗ってくれた彼女の声が聞こえたような気がした。 ありがとう。そしてさようなら、山崎重子さん。合掌。
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