[えでぃっとはうすのときど記]

老いブリッコ

「お客様、この申込書は改めてお持ちいただけるのでしょうか?」
「えっ、さっき書いてわたしたでしょ?」
 お風呂の工事代の支払いで久しぶりに行った銀行の窓口で、積み立てを全額取り崩したら、継続には再契約になるから新規の申込みが必要だと言われた。それで確かに名前と印鑑を押してわたしたはずなのに、目の前に見せられたその用紙は白紙なのだ。キツネにつままれた気分だった。
 すると窓口の彼女は用紙を裏返した。おお、それそれ、ちゃんと書いてあるやんか。
「お客様、こちらは口座振替の依頼書でして、申込みはこちら側なんです」
「あ……」
 なんたる大ボケ。再びボールペンを握った。

 家族名義の積み立てだ。うっかり名前を間違えた。横棒で消して書き直す。ダメとは思いつつ、さっきも振込で支店名を間違えたが、窓口の彼女は「訂正していいですよ」と言っていた。でも念のため、訂正印を押そうと思った。
 複写伝票になっている。こういうのにまともに印鑑を押すと印影が下にまで複写されてしまうので、1枚目の下に捺印シートを置くのが美しく押印するコツだ。
 ところが、押印欄がないからか、その申込書は天地がのり付けされている。仕方がないから用紙を筒状に開いて、そこに捺印シートを挟み込もうとしていた。どうやらそれが、よほど異様に見えたらしい。
「お客様、印鑑は……」
 裏側の口座振替依頼書だけですよ、と窓口の彼女は言いたげだった。
「名前を書き間違えたんですよ、だから……」
「ああ……、名前は訂正できないんですぅ。こちらの用紙にもう一度お願いします」
「あ、そうすか……」
 彼女は新しい用意を差し出した。

 その彼女は旧通帳を手元に置き、同じ内容でいいなら詳しいことは見るから申込書には住所と名前と印鑑だけでいいという。ところが……。
「こちらの印鑑ですが、引き落とし口座は別ですので……」
「あ、間違えた。またやり直し?」
「いえ、印鑑はいいです。余白に、重ならないように押してください」
 彼女は押した判に、かわいらしい×印をつけたのだった。

 これって客観的に見れば、僕は、慣れない銀行手続をする老いたオヤジそのものではないか。でも実は、十数年前は経理の仕事をしていた。こうした伝票手続きには慣れていると自負していた。それなのに、なんたる体たらく。
 そんなに老いぼれてしまったのだろうかと思うとおかしくなった。でもせっかく親切にしていたただいたので、まあこんな「老いブリッコ」もいいか、と自分を納得させたのだった。
 同時に思った。自分ではまともだと思ってやっていることが周りには異様に映る。もしかしたら、認知症の当事者の感覚とはこんな感じなのかもしれないな、と。

(記:2006/01/30)



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