ちょっとビビッている
ちょっとビビッている。
ある雑誌の企画でお酒の店を紹介するページを請け負い、テーマをワインにした。ところが実は、僕はワインをあまり飲まない。だからよくわからない。もともとかなり冒険だと思いつつ、なんとかなるだろうと提案したのだけど、やっぱり大きな冒険だと後悔し始めていた。複数のワイン好きに聞くと、値段が張るからわざわざレストランなどに行ってワインを飲むということは少ないという。ワインをたくさん置いてある酒屋さんでアドバイスを受けながら買ってきて、自宅で飲むのだそうだ。
そう言われれば、自分自身もレストランでフルコースを楽しみながらワインを飲むなどという機会はない。かつての職場で、創立何周年とかのパーティでフルコースらしきものを口にしたのもはるか昔になってしまった。
もちろん自分でわざわざ出かけていくことなど皆無だ。せいぜい、めずらしくお歳暮に送ってもらったワインを飲むのが関の山なのだ。そんな僕の不安をよそに、「いいんじゃないか」と企画は動き出してしまった。仕方がないから先日、よく行くバーを訪ねた。とりあえずお酒のプロに聞けば糸口が開けるかもしれない。
事情を話すとバーテンダー氏、乗ってきた。
「ソムリエを紹介しますよ。○○さんと□□さん、この二人が最高ですね。すぐ電話してみましょう」
むむむ、ちょっと待て。聞けばいずれも有名ホテルのソムリエで、一人は世界的なコンペティションか何かでかなりいい成績を収めているとか。僕のようなワイン素人にとっては、ものすごく大物ではないか。
僕の動揺をよそに、バーテンダー氏は曰く。
「やるんだったら一流のプロのお店を紹介しなくては意味がないでしょう」
おっしゃる通りだ、しかし……。
「僕はワインのこと知りませんからねえ、そんな方だと……」
かえって失礼ではないかと思ってしまうのだ。普通に考えれば、とても大きなチャンスなのだ。少なくとも僕の力ではコンタクトさえ取れないだろう。だが僕は取材下手。何を聞く、どのように書く。さっぱりイメージがわかずに頭の中はグルグルと回っているだけだ。
その一方で「お前はプロのライターだろう」という自分がいる。せっかく紹介してもらったのに、好意を無にはできないし、自分にできないとも言いたくない。そんな様子を察したか、バーテンダー氏が助け船を出してきた。
「ワインを知らないとおっしゃいましたけどね、かえってその方がいいかもしれませんよ。知った風に書いてあるけど、われわれプロから見たら全然という記事がけっこう多いですよ。知らないということで、感じたままを紀行文のように書けばいいじゃないですか」
ん? そう言われればまったくそうだ。
日本酒だって、知った顔をして有名な銘柄ばかり頼むより、お店の人にまかせるほうが、よほど豊かな酒を楽しめるということを、自分でも実感している。ワインはソムリエにまかせるべし、というくらいのこともわかる。
そう思ったら、ひょっとしたらいけるかもしれないという気持ちがわいてきた。そうだ、感じたままを書けばよいのだ。しかし、すると今度は自分の感性の勝負。僕にそのような舌と感性があるのか。
そうこうしているうちにバーテンダー氏、受話器を取ろうとする。
「私、やるなら早くしないとダメなんですよ」
飛び込み台の先端でウジウジしている僕の背中を、ポンとひと押しされたようなものだ。翌日、紹介してもらったおかげで一人のソムリエ氏と直接コンタクトが取れた。快く取材に応じていただく約束もできた。もうやるしかない。
でも、まだ心のどこかでビビッている。
「いやあ、今度の記事は楽しみですよ」
という、かのバーテンダー氏の言葉が耳に残っているのだ。
(記/1997.12.21)
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