手抜きか熟考か
先日入ってきたある団体の広報紙の原稿は、一部が実にいいかげんだった。あるグループについて1ページの記事にしたいということだったが、別の広報紙に載った記事と、そのグループが発行している2年分の会報のファイルがあるだけだった。
「それで適当にまとめてほしいんだって」
と、持ち込んできた取引先の担当者は言う。そんなアホな、と思ってしまう。まあ、「素(ス)」で持ち込まれるのは多少の信頼と期待があるのかもしれないと気を持ち直して、そのファイルを読み始めた。
とはいえ、B5版4ページの会報は、活動の日程とか、これがありましたあれがありましたというような記事がほとんどで、会員ならまだしも、部外者が読んでもなかなかその姿が浮かび上がらない。しかも、すでに載った記事とは視点を変えよというのが注文だ。さて、困った。
ずっと読んでいると、会員への「とつげきインタビュー」なる連載記事が僕の頭の中に大きな位置を占めだした。どうやら唯一の「読み物」のように思えてきた。
よし、コレだ。いろいろ書くより会員の生の声の方がおもしろい。それに、会員募集もしたいと言っていたはずたから、それともつながる。で、インタビューからおもしろそうなところを抜き出して再構成し、それで紙面を作ったわけだ。「あんなん会報のままやん。手抜きとちゃうかて言うてたで」
取引先の担当者が電話してきたのは昨日のことだ。
「どこが手抜きやねん。全部読んでいろいろと考えた末のことやんか」
「えっ? そやったん。そういう判断やったん。ほなええんちゃう。そう言うとくわ」
手抜きだとケチをつけるなら徹底的にやればいいのに、すぐにひるがえすのはどっちが手抜きかと言いたいところだ。おもしろいもので、本当に手抜きをする時は、それが手抜きと気づかれないようにいろいろと糊塗するものだ。一生懸命考えて仕上がりがシンプルだと、かえって手抜きに見えてしまうのか。
考えてみれば世の中、「こんなん自分でもできる」と思ったものでも、いざやろうと思うとなかなかそう簡単にはいかないというものはたくさんある。ロゴやマークなどはまさにそうだ。
しかし、今回の僕の仕事がそういうレベルかと突き詰められると、実は困る。自分では考えたつもりでも手抜きと思わせてしまうのは、まだまだ修行が足りないようだ。
(記/1997.11.5)
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