[ひとりごと(1997.11.4)]

Macは僕の救世主だった

 ある時「ウインドウズで仕事をしたらどうか」と言われたことがあった。
「マックは10%しかシェアがない。そんなものを対象にして本を書いても売れない。ウインドウズマシンを買って1か月も使えば本が書けるんじゃないか」
 僕に書けるかどうかは別として、なるほどその通りだ。しかも最近の報道では、マックのシェアはさらに下がっているという。
 けれども僕は、どうしてもそうする気にならなかった。その時なのだ、僕がマックファンなのだと自覚したのは。

 考えてみれば、僕とパソコンとの出合いはかれこれ14〜5年前になる。知り合いのところにあったパソコンをさわらせてもらい、確かオセロゲームをしたように記憶している。記憶媒体にカセットテープを使っていたという代物だった。
 その彼にベイシックがどうことかこうとかいう本を借りて帰ったが、さっぱり理解できなかった。パソコンには興味があるが、僕には使えないものという印象が残った。

 次に出合ったのは、職場のオフコンだった。13年前になる。経理関係のデータ入力のほか、同僚にワープロを教えてもらって使っていた。その頃、やれC言語がどうとかコンパイルがどうのことのという話を漏れ聞いたりしたが、やっぱり僕にはさっぱり理解できなかった。
 ただ、その頃からワープロをさわるようになったのが唯一の「成長」だったようだ。その数年後に初めてパーソナルワープロを買ったが、これもワープロ専用コンピュータなのだから、それがコンピュータとのつき合いの始まりということはできる。

 もっぱらワープロとの付き合いばかりだったが、5年前に仕事をやめた時、そのワープロ1台で現在の仕事を始めた。もちろん金になるはずもない。「よくそれで仕事になりますね」などと言われながら、約2年過ごした。「えい!」と一念発起しても書いたが、さっぱり売れなかった。

 フリーになってちょうど2年がたった時、思いきってマックを買った。もっぱらデータの移動に都合がよいからというのが理由だった。むしろ、自分でパソコンを買ってしまって使っていけるだろうかという不安の方が大きかった。
 しかしその不安は、マックがやってきたその日から吹き飛んだ。マックを使うのに、ベイシックがどうとかC言語がどうとかコマンドがどうとか、とにかく僕が不安に思っていたコンピュータのややこしい概念は一切不要だったのだ。
 いろいろさわっているうちに一度、システムそのものをつぶしてしまったことがあった。なんとかシステムの再インストールをして復旧した時は、「僕みたいなシロートでも直せるやんか」と感動したものだった。

 以来、朝から晩までマックとつき合う生活が始まった。幸い編集や組版の仕事も来るようになり、1か月の売上が1ケタ大きくなった。それから3年半。マックは3台(1台はほとんどオブジェだが)になり、なんとか前の職場の給料分くらいが残るようになって、ようやく人並みに近づいた感じがしている。
 だからまさに、マックは僕の救世主だったのだ。

 むろん、それゆえにアップルに操を立てるなどという感覚ではない。ただマック、MacOSに惚れ込んでしまったわけだ。
 以前は「どんなコンピュータを買ったらよいか」と聞かれて、「何でもいいんじゃない。まあ、知り合いが使っているのが多い方が、なにかと便利ですよ」などと答えていた。しかし、つい最近同じことを聞かれ、僕は初めて「そりゃもちろん、マックがいいですよ」と答えていた。
 それは僕のマックファン宣言だった。

うちのマック

(記/1997.11.4)


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