[ひとりごと(1998.4.20)]

書痙症(しょけいしょう)

「変な持ち方でしょ」
「あっ、そうですねえ。どうしたんですか?」
「書痙症(しょけいしょう)っていいましてね、書く時に手が震える病気なんですよ」
「へぇ……、そんな病気があるんですか」
「ええ。ひどい時には数字の『000』が続けて書けませんでした」
「でも、そんな持ち方でよく書けますね」
「こうしないとダメなんですよ。でもこれで、ようやくなんとか書けるようになったんです」

 打ち合わせなどで僕がペンを持つとき、たいがいこんな会話が交わされる。僕はじゃんけんのグーの状態で、人差し指と中指の間に万年筆をはさんで書いているのだ。なぜそんな持ち方をするのかをいちいち説明するのが面倒だったが、話のきっかけに使うと意外に盛り上がるので、このごろは意図的に話題にするようにもなってきた。

 字が書きにくいと感じるようになったのは、もう9年ほど前のことだろうか。
 当時僕は、経理の仕事をしていた。コンピュータは入っていたが、複写伝票にボールペンで記入することが多かった。筆圧が高くなり、無意識のうちに力を入れて字を書くようになっていたようだ。中指には大きなペンダコができていたし、指の皮が厚くなって、何か異物を貼り付けているような感覚になっていた。字を書いているときに突然、持っていたペンが飛んでいったのはそんなときだった。以来、ごく普通のペンの握り方ができなくなった。

 病院に行ってもなかなかハッキリしなかった。針やマッサージもした。針は気持ちがよいものだと知ったのは大きな収穫だったが、肝心の手の方にはあまり効果はなかった。「神経的な要素もあるのではないか」と医師は言った。僕の心のどこかで「書きたくない」と叫んでいたのかもしれない。不思議なことにペンをもつこと以外、たとえば箸だと全くなんともないのだ。

 それを「書痙症」だと知ったのは、医師が書いた針治療のための処方箋だった。もっとも僕には、その悪筆の日本語を判読することはできなかった。針治療をしながら、鍼灸治療士が教えてくれた。

 毛筆が最も筆圧が低いので、リハビリを兼ねてやってみてはどうかと医師に勧められた。通信講座を申し込んで教材一式と筆などを買い込んだが、何度か練習したものの、一度も添削指導に提出することなく挫折した。
 その後は、とにかく字を書かなくなった。というより書けなかった。
 ある時お歳暮を送ろうと酒屋に行ったが、送り状が書けなかった。ペンを持とうとして持てず、「すいません、口で言いますから書いてもらえますか」と頼んだものだった。

 そんな僕が現在、ものを書いたり編集したりする仕事ができているのは、もっぱらワープロとパソコンのおかげだ。ちょうど字が書きにくくなる頃と前後してワープロを使い始めた。当初はそれも関係しているのではないかと思ったが、医師に「関係ないでしょう」と言われ、安堵したのをよく覚えている。
 しかし、打ち合わせや会議などではメモの必要があるからペンを持たねばならない。かなりいびつな握り方で、ようやく字らしきものが書けるようになってきたのは数年前のことだったろうか。しかし、それも最小限にとどめている。

 だから僕は、ほとんどメモを取らない。取材はカセットテープを横に置いている。もっともたまに忘れることもある。そんなとき、必要最小限のメモのほかは記憶が頼りだ。時にはそれが、かえって余計なことを忘れていい効果を生む場合もある。
 そして、相手がメモをしない僕の姿に不安を抱いているだろうと感じたとき、僕は冒頭の話をするのだ。

 ところでいま、HPの仕事のために各ページの絵コンテを書いている。う〜む、見れば見るほど読めない字だ。誰か清書してくれないかなあ……。

(記/1998.4.20)


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